欲しいかも!ってぐらいの直近絶対使わないものって、貰えるってなったら貧乏性が故に全部貰っちゃうのどないやねんな。
休みの日、何もなければ漏れなく朝方から夕方まで寝るようになっちゃった。平日は4時間前後しか寝れん。どないしたろか。
ぱぷりか「どっか行け!クソたいぎい我が人生」
釈然とせん。でもこれで良かったんじゃの。
— あきむらかずき(備忘録) (@akimurakansou) 2022年12月3日
最後の姿でそう思った。
たいぎいよなぁ
広島のPARCO懐かしい〜
学生のおしゃれ=PARCOな感じあったな。
「どっか行け!クソたいぎい我が人生」
#ぱぷりか
ぱぷりか観劇2回目。前回「柔らかく搖れる」を観た時も思ったけど、ぱぷりかの観劇中は広島に帰った気分になるし、観劇後は広島弁しか喋りたくなくなる。出演者の広島弁が結構ネイティブで、ドラマとかで観るわざとらしい広島弁がないのが生理的にとても好き。
以下まぁまぁネタバレ
かすみが占いとか風水に心酔してて周りを振り回してる時、こうなってる人ってどういう関係性だったら救ったり支えたりしたくなるんだろうってなった。何かに過剰に縋ってる様は明らかに悪い方向に行くように見えるのだけど、どうしてそうなるのかを本人に説明するの難しいよな〜配偶者や親族とかがコントロールするしか無いのかな〜でも離婚しちゃったんか〜ってモヤモヤした。
毒親と一言で言えるほどかすみの気持ちが理解できないわけじゃ無くて、何かに判断基準まで依存する状態はめちゃくちゃわかるんだけど、ただどうしたって子どもや周りに感情移入しちゃう。
かすみ自体が本当に可愛らしい人で、何か起きなければあらあら〜ってほっとくだけなんだけど、自分の中に正しさを置いてしまった人が周りを縛る様を見ると反射的に敵に見えてしまう。
将太朗がフラットな理解者として存在してて、尚且つ無条件に敵視してしまった旦那が死んだ事を知ったが故にあの結末になった(多分。3日間のディテールが無かった)のが、呆気なさで若干釈然としなかったけど、初衣を真っ直ぐ受け止めて逃げずに悲しんでる所を見て、丸く収まって良かったという安堵が勝った。10ある不安の正体が1つの恐れに集約してた気持ちは凄くわかる。
釈然としなかったのは、成人した我が子を自分の正しさで縛る行為がどうしてもどこか許せなくて、悪い事をしたと認識した?いつかまたやらんか?って不満を持ってしまったからだと思う。完全に俺の思想だし俺の中に正しさを置いてしまったが故の不満。
自分の子どもは何歳になっても子どもだし、自分の親はいつまでも親なのは当たり前で、ただ事実として違う人間であるという事を前提に置けない人を見るとこういう不満が湧き出る。親にならにゃわからんのに。
上記のトピックが俺の中で大きすぎて、劇中でかすみにも初衣にもさめざめ泣いたの覚えてるんだけど、どこで泣いたか忘れてしまった。台本買ったらよかったな。